2026年7月24日金曜日

セッション1

1.戦士

カリーは言っています。「私は多くの人が霊的な戦いの中で勝利よりも敗北を経験していることに気づきました。「神から言葉を頂いたのに、なぜ祈りが届かないのか」という疑問をよく耳にします。その一般的な理由は、誰でも戦う事はできるが、戦略的な戦いを行うには「戦士」でなければならないという事です。

 

教会の集会で泣いたり、旗を振ったり、行進したりするだけで戦いをしていると勘違いしている人がいます。しかし、ここでの戦いとは「敵を打ち倒すための組織的な取り組み」であり、戦略と戦術が重要になります。」

 

2.変わらない戦いの原則

戦術は時代や技術によって変わりますが、戦いの戦略や原則は数千年前から変わりません。古代中国の孫子の兵法書が、今でも世界中の軍士官学校で教えられているのもその為です。

 

霊的戦いの原則も同様に不変です。私たちが「戦士」としての属性を身につけていなければ、戦いを優位に進める事はできません。確実に勝利を収める為の「12の原則」について解説します。

 

3.新しい契約の思考へのシフト

新約聖書時代のミニストリー、つまり、クリスチャンの活動において効果を上げる為に最も重要なのは、古い契約の思考から新しい契約の思考へと切り替える事です。

 

古い契約の考え方のままだと、たまに勝利することはあっても大体は敗北してしまいます。そしてタチの悪いことに、「この敗北は神が自分に何かを教えようとして与えた試練だ」と言い訳を作ってしまうのです。

 

4.神は「戦士」

出エジプト記153節には「主は戦いの人、その名は主」とあります。他の訳では「主は戦士である」とされています。

 

新約聖書にも「キリストがそうであるように、私たちもこの世においてそのようである」と書かれています。つまり、神が戦士であるならば、私たちも戦士として行動しなければなりません。

 

これは、生まれ持った性格の話ではなく、霊的な強さの話です。新しく生まれたクリスチャンの霊の強さは、内に宿る神の霊と同じである為、全員等しく強いはずです。

 

5.既に勝っている

ルシファーは反逆によって天から落とされ、すでに敗北しています。イエスは弟子たちに、蛇やサソリを踏みつけ、敵のあらゆる力に勝つ権威を与えられました。敵には能力はあっても、あなたに対する権威はありません。ヨハネ1930節でイエスが「完了した」と言われた時、戦いは既に勝利で終わっているのです 。

 

「戦いには勝っていますが、局地的な戦闘はまだ続いています」。

 

第二次世界大戦後、日本の敗戦を知らずにジャングルに何年も隠れて敵を撃ち続けようとした兵士のように、サタンは完全に敗北して降伏しているにも関わらず、その配下の悪霊どもは未だに人々に攻撃し、彼らが支配できる場所を探して抵抗を続けているのです。私たちの仕事は、既に勝利したという前提に立ち、その敵を追い出す事なのです。

 

6.病人の癒しとクリスチャンの使命

多くのクリスチャンは、自分が「空のコップ」のようなもので、祈った時に神がその都度パワーを注いでくれると勘違いしています。しかし実際には、私たちは神の力が流れる「導管」です。

 

イエスは弟子(12人、そして70人)を送り出す際、「病人を癒やし、死人を生き返らせ、悪霊を追い出しなさい」と命じました。イエスが病人を癒やしたのはご自身が「神の子」だったからだけではなく、病人が苦しんでおり、彼にそれを解決する憐れみと力があったからです。そしてその力を弟子たち、つまり、私たちにも委ねられました。

 

私たちは、敵の攻撃や反撃を恐れて語るべき真理を引っ込めてはいけません。戦いを引き下がらず、勝利するまで立ち続ける事が「戦士」であるクリスチャンの役割です。

セッション2

霊的戦争における5つの人間像

 

全ての人間が霊的な戦争状態にあり、以下の5つのカテゴリーに分類されます。

 

民間人:敵に占領された領土にいる人々です。福音に対して好意的な人もいれば敵対的な人もいますが、外見では判断できない為、全ての人にアプローチする必要があります。

 

捕虜:過去の過ちや罪に囚われ、罪の意識によって無力化されているクリスチャンです。正しい教えによって解放される必要があります。

 

兵士:神の敵やあらゆる悪の顕現に対して、積極的に戦いに加わっているクリスチャンです。

 

無断離隊者:神の軍隊に籍を置きながら、戦うことをせず、周囲と同じような普通の「民間人」としての快適な生活を送ろうとしているクリスチャンです。

 

反逆者:キリストへの忠誠を口にしながら、真の悔い改めをする事なく、故意に罪を犯し続けている人々です。

 

革命家:聖書の教えに従って生きる事を決意し、快適さや保身の為に妥協することを拒んで敵との戦いに身を投じている、本来あるべきクリスチャンの姿です。

 

軍隊や教会に人が集まる3つの理由

 

1970年代後半にカリー自身が軍隊に入隊した経験を交え、教会に来る人々にも同様の3つの動機があると指摘しています。

 

1.罰を免れる為:単に地獄に行きたくないという理由だけでクリスチャンになった人々で、罪そのものを憎んでいるわけではありません。

 

2.名声と栄光の為:クリスチャンになれば祝福され、全ての問題が解決するという現世利益を求めている人々です。

 

3.真の愛の為:神を愛し、隣人を愛するという純粋な動機から集まっている人々です。

 

勝利者である事の重要性

 

カリーは、ヨハネの黙示録(2章、3章、21章)を引用し、神の約束や報酬、永遠の定めは、単に教会で信仰告白をした人ではなく、最後まで戦って「勝利を得る者」にのみ与えられると強調しています。また、自分が恐怖や威圧に打ち勝つ事は、他者の救いにも直結していると説いています。

 

安全保障の原則

「敵に予期せぬ優位性を絶対に与えてはならない」という原則です。

 

事前の計画は敵と接触した瞬間に崩れることが多い為、固定された計画よりも「訓練された条件反射」が重要になります。霊的な油断や過信は、安全保障にとって最大の敵です。

 

教会(キリストの体)の戦いにおいて、敵は「威力偵察」を行い、全体の最も弱い部分(財政、健康、解放の教えの不足など)を特定して攻撃してきます。その為、信者は自分の弱点を克服し、そこを強みに変えるまで訓練しなければなりません。

セッション3

目的の原則:敵の戦略

 

敵は目的の原則をクリスチャンよりも巧みに利用しています。敵はチェスの名手のようなスキルを持っており、私たちが目にする目先の動き(攻撃)が、本当の目的である事は滅多にありません。

 

世代を狙う計画:クリスチャンが来週の計画を立てる一方で、敵は次の世代を止める為の計画を何年もかけて練っています。あなたが学んだ事や行う事を妨げ、次の世代に継承させないようにする事が目的です。

 

陽動作戦(フェイント): 第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦で連合軍がパットン将軍を偽の場所に配置してナチスを欺いたように、敵も私たちの注意を本質とは違う場所(病気、財政、人間関係のトラブルなど)に引きつけようとします。

 

リソースの分散:敵が仕掛ける一見大した事のない問題に気を取られていると、時間、エネルギー、財政といったリソースが分散して弱体化し、最終的に本当の狙いである重要な部分で打ち負かされてしまいます。

 

クリスチャン個人の「目的の原則」の実践

 

クリスチャンは、自分の全精神、財政、そして特に「祈り」を、明確な一つの目的に向けて集中させる必要があります。

 

祈りの情熱を失う原因:長時間祈れないクリスチャンは、祈る内容が尽きてしまうからだと不満を言いますが、それは心に触れるものが少なくなっている(初めの愛が冷めている)証拠であり、リバイバル(信仰の覚醒)が必要なサインです。

 

感情の罠と不和:敵はクリスチャンの感情を利用し、他人の些細な態度(挨拶をされなかったなど)から「あの人は自分を嫌っているのではないか」という「妄想的な憶測」を生み出させます。

 

未熟さの基準:クリスチャンの霊的な未熟さは、「自分が受けた(と感じる)侮辱や不快な出来事について、どれだけ長い間くよくよと考えているか」で判断できます。私たちは感情の罠を捨てて、神の任務に集中しなければなりません。

 

どのような状態でも従う:誰かと口論をしてしまい、自分の霊的コンディションが完璧でないと感じる時でも、聖書の御言葉(病人に手を置けば癒されるなど)に従う事を選択すべきです。感情が「正しい」と感じるのを待つのではなく、まず御言葉に従う事で、霊的な状態も後から良くなっていきます。

 

集団戦(教会・チーム)における目的の原則

お互いの為に戦える強さ:チームのメンバー(信仰の仲間)は全員が敵の攻撃対象になります。その為、各メンバーが「自分自身だけでなく、倒れた仲間の為にも代わりに戦えるほど強くなる」という心構えを持つ必要があります。全員が他人に依存し合う「生ぬるい」状態を敵は狙っています。

 

手段としての団結:多くの教会は、教会のトラブルをなくして平和に過ごす為に団結を説きますが、真の団結は「敵を打ち負かし、神から与えられた任務を完遂する為」にあるべきです。

 

祈りを行動の言い訳にしない:執り成しの祈りは非常に重要ですが、それが「外に出て実際に福音を伝える働き」を避ける為の言い訳になってはなりません。祈りの会にいる人数よりも、実際に街に出て活動する人数の方が少なくてはならないのです。

 

安全保障の原則:敵の不意打ちを防ぐ

安全保障の原則において、敵はクリスチャンの「祈りの不足」や「油断」に付け込み、予期せぬエリアから攻撃を仕掛けてきます。

 

敵の安心感(セキュリティー): 敵が安心して活動できる理由は、悲しい事に、大半のクリスチャンが福音を使って実際には何もしない事を知っているからです。

 

信仰の盾を常に掲げる:聖書には、悪魔はイエスのもとを「より都合の良い機会(隙)が訪れるまで」一時的に離れたとあります。敵は私たちが警戒を緩めるタイミングをじっと待っています。その為、クリスチャンは24時間365日、常に信仰の盾を掲げて警戒を怠らない「防衛兵・解放軍」として生きる必要があります。

 

このセッションの最後には、ウィリアム・ブース(救世軍の創設者)の「血を流し、死ぬ事はあっても、退却する事はない」という言葉が引用され、現在の教会に必要なのは「霊的に見せかけようとする」事ではなく、聖書に愚直に従う兵士としての精神であると締めくくられています。