2026年7月24日金曜日

セッション1

1.戦士

カリーは言っています。「私は多くの人が霊的な戦いの中で勝利よりも敗北を経験していることに気づきました。「神から言葉を頂いたのに、なぜ祈りが届かないのか」という疑問をよく耳にします。その一般的な理由は、誰でも戦う事はできるが、戦略的な戦いを行うには「戦士」でなければならないという事です。

 

教会の集会で泣いたり、旗を振ったり、行進したりするだけで戦いをしていると勘違いしている人がいます。しかし、ここでの戦いとは「敵を打ち倒すための組織的な取り組み」であり、戦略と戦術が重要になります。」

 

2.変わらない戦いの原則

戦術は時代や技術によって変わりますが、戦いの戦略や原則は数千年前から変わりません。古代中国の孫子の兵法書が、今でも世界中の軍士官学校で教えられているのもその為です。

 

霊的戦いの原則も同様に不変です。私たちが「戦士」としての属性を身につけていなければ、戦いを優位に進める事はできません。確実に勝利を収める為の「12の原則」について解説します。

 

3.新しい契約の思考へのシフト

新約聖書時代のミニストリー、つまり、クリスチャンの活動において効果を上げる為に最も重要なのは、古い契約の思考から新しい契約の思考へと切り替える事です。

 

古い契約の考え方のままだと、たまに勝利することはあっても大体は敗北してしまいます。そしてタチの悪いことに、「この敗北は神が自分に何かを教えようとして与えた試練だ」と言い訳を作ってしまうのです。

 

4.神は「戦士」

出エジプト記153節には「主は戦いの人、その名は主」とあります。他の訳では「主は戦士である」とされています。

 

新約聖書にも「キリストがそうであるように、私たちもこの世においてそのようである」と書かれています。つまり、神が戦士であるならば、私たちも戦士として行動しなければなりません。

 

これは、生まれ持った性格の話ではなく、霊的な強さの話です。新しく生まれたクリスチャンの霊の強さは、内に宿る神の霊と同じである為、全員等しく強いはずです。

 

5.既に勝っている

ルシファーは反逆によって天から落とされ、すでに敗北しています。イエスは弟子たちに、蛇やサソリを踏みつけ、敵のあらゆる力に勝つ権威を与えられました。敵には能力はあっても、あなたに対する権威はありません。ヨハネ1930節でイエスが「完了した」と言われた時、戦いは既に勝利で終わっているのです 。

 

「戦いには勝っていますが、局地的な戦闘はまだ続いています」。

 

第二次世界大戦後、日本の敗戦を知らずにジャングルに何年も隠れて敵を撃ち続けようとした兵士のように、サタンは完全に敗北して降伏しているにも関わらず、その配下の悪霊どもは未だに人々に攻撃し、彼らが支配できる場所を探して抵抗を続けているのです。私たちの仕事は、既に勝利したという前提に立ち、その敵を追い出す事なのです。

 

6.病人の癒しとクリスチャンの使命

多くのクリスチャンは、自分が「空のコップ」のようなもので、祈った時に神がその都度パワーを注いでくれると勘違いしています。しかし実際には、私たちは神の力が流れる「導管」です。

 

イエスは弟子(12人、そして70人)を送り出す際、「病人を癒やし、死人を生き返らせ、悪霊を追い出しなさい」と命じました。イエスが病人を癒やしたのはご自身が「神の子」だったからだけではなく、病人が苦しんでおり、彼にそれを解決する憐れみと力があったからです。そしてその力を弟子たち、つまり、私たちにも委ねられました。

 

私たちは、敵の攻撃や反撃を恐れて語るべき真理を引っ込めてはいけません。戦いを引き下がらず、勝利するまで立ち続ける事が「戦士」であるクリスチャンの役割です。

セッション2

霊的戦争における5つの人間像

 

全ての人間が霊的な戦争状態にあり、以下の5つのカテゴリーに分類されます。

 

民間人:敵に占領された領土にいる人々です。福音に対して好意的な人もいれば敵対的な人もいますが、外見では判断できない為、全ての人にアプローチする必要があります。

 

捕虜:過去の過ちや罪に囚われ、罪の意識によって無力化されているクリスチャンです。正しい教えによって解放される必要があります。

 

兵士:神の敵やあらゆる悪の顕現に対して、積極的に戦いに加わっているクリスチャンです。

 

無断離隊者:神の軍隊に籍を置きながら、戦うことをせず、周囲と同じような普通の「民間人」としての快適な生活を送ろうとしているクリスチャンです。

 

反逆者:キリストへの忠誠を口にしながら、真の悔い改めをする事なく、故意に罪を犯し続けている人々です。

 

革命家:聖書の教えに従って生きる事を決意し、快適さや保身の為に妥協することを拒んで敵との戦いに身を投じている、本来あるべきクリスチャンの姿です。

 

軍隊や教会に人が集まる3つの理由

 

1970年代後半にカリー自身が軍隊に入隊した経験を交え、教会に来る人々にも同様の3つの動機があると指摘しています。

 

1.罰を免れる為:単に地獄に行きたくないという理由だけでクリスチャンになった人々で、罪そのものを憎んでいるわけではありません。

 

2.名声と栄光の為:クリスチャンになれば祝福され、全ての問題が解決するという現世利益を求めている人々です。

 

3.真の愛の為:神を愛し、隣人を愛するという純粋な動機から集まっている人々です。

 

勝利者である事の重要性

 

カリーは、ヨハネの黙示録(2章、3章、21章)を引用し、神の約束や報酬、永遠の定めは、単に教会で信仰告白をした人ではなく、最後まで戦って「勝利を得る者」にのみ与えられると強調しています。また、自分が恐怖や威圧に打ち勝つ事は、他者の救いにも直結していると説いています。

 

安全保障の原則

「敵に予期せぬ優位性を絶対に与えてはならない」という原則です。

 

事前の計画は敵と接触した瞬間に崩れることが多い為、固定された計画よりも「訓練された条件反射」が重要になります。霊的な油断や過信は、安全保障にとって最大の敵です。

 

教会(キリストの体)の戦いにおいて、敵は「威力偵察」を行い、全体の最も弱い部分(財政、健康、解放の教えの不足など)を特定して攻撃してきます。その為、信者は自分の弱点を克服し、そこを強みに変えるまで訓練しなければなりません。

セッション3

目的の原則:敵の戦略

 

敵は目的の原則をクリスチャンよりも巧みに利用しています。敵はチェスの名手のようなスキルを持っており、私たちが目にする目先の動き(攻撃)が、本当の目的である事は滅多にありません。

 

世代を狙う計画:クリスチャンが来週の計画を立てる一方で、敵は次の世代を止める為の計画を何年もかけて練っています。あなたが学んだ事や行う事を妨げ、次の世代に継承させないようにする事が目的です。

 

陽動作戦(フェイント): 第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦で連合軍がパットン将軍を偽の場所に配置してナチスを欺いたように、敵も私たちの注意を本質とは違う場所(病気、財政、人間関係のトラブルなど)に引きつけようとします。

 

リソースの分散:敵が仕掛ける一見大した事のない問題に気を取られていると、時間、エネルギー、財政といったリソースが分散して弱体化し、最終的に本当の狙いである重要な部分で打ち負かされてしまいます。

 

クリスチャン個人の「目的の原則」の実践

 

クリスチャンは、自分の全精神、財政、そして特に「祈り」を、明確な一つの目的に向けて集中させる必要があります。

 

祈りの情熱を失う原因:長時間祈れないクリスチャンは、祈る内容が尽きてしまうからだと不満を言いますが、それは心に触れるものが少なくなっている(初めの愛が冷めている)証拠であり、リバイバル(信仰の覚醒)が必要なサインです。

 

感情の罠と不和:敵はクリスチャンの感情を利用し、他人の些細な態度(挨拶をされなかったなど)から「あの人は自分を嫌っているのではないか」という「妄想的な憶測」を生み出させます。

 

未熟さの基準:クリスチャンの霊的な未熟さは、「自分が受けた(と感じる)侮辱や不快な出来事について、どれだけ長い間くよくよと考えているか」で判断できます。私たちは感情の罠を捨てて、神の任務に集中しなければなりません。

 

どのような状態でも従う:誰かと口論をしてしまい、自分の霊的コンディションが完璧でないと感じる時でも、聖書の御言葉(病人に手を置けば癒されるなど)に従う事を選択すべきです。感情が「正しい」と感じるのを待つのではなく、まず御言葉に従う事で、霊的な状態も後から良くなっていきます。

 

集団戦(教会・チーム)における目的の原則

お互いの為に戦える強さ:チームのメンバー(信仰の仲間)は全員が敵の攻撃対象になります。その為、各メンバーが「自分自身だけでなく、倒れた仲間の為にも代わりに戦えるほど強くなる」という心構えを持つ必要があります。全員が他人に依存し合う「生ぬるい」状態を敵は狙っています。

 

手段としての団結:多くの教会は、教会のトラブルをなくして平和に過ごす為に団結を説きますが、真の団結は「敵を打ち負かし、神から与えられた任務を完遂する為」にあるべきです。

 

祈りを行動の言い訳にしない:執り成しの祈りは非常に重要ですが、それが「外に出て実際に福音を伝える働き」を避ける為の言い訳になってはなりません。祈りの会にいる人数よりも、実際に街に出て活動する人数の方が少なくてはならないのです。

 

安全保障の原則:敵の不意打ちを防ぐ

安全保障の原則において、敵はクリスチャンの「祈りの不足」や「油断」に付け込み、予期せぬエリアから攻撃を仕掛けてきます。

 

敵の安心感(セキュリティー): 敵が安心して活動できる理由は、悲しい事に、大半のクリスチャンが福音を使って実際には何もしない事を知っているからです。

 

信仰の盾を常に掲げる:聖書には、悪魔はイエスのもとを「より都合の良い機会(隙)が訪れるまで」一時的に離れたとあります。敵は私たちが警戒を緩めるタイミングをじっと待っています。その為、クリスチャンは24時間365日、常に信仰の盾を掲げて警戒を怠らない「防衛兵・解放軍」として生きる必要があります。

 

このセッションの最後には、ウィリアム・ブース(救世軍の創設者)の「血を流し、死ぬ事はあっても、退却する事はない」という言葉が引用され、現在の教会に必要なのは「霊的に見せかけようとする」事ではなく、聖書に愚直に従う兵士としての精神であると締めくくられています。

セッション4

安全確保の原則

ここでの「安全確保」とは、敵(悪魔)に不意を突かれないよう、自らの霊的な守りを固める事を意味します。

 

敵の戦略を見抜く

悪魔は多くのキリスト教徒が自発的に攻撃的な行動を起こさない事、また間違った教えによって教会が麻痺している事を知っています。また、新しく信仰を持ったばかりの人は熱心に伝道しようとしますが、やがて生ぬるい環境に同化して情熱を失ってしまう事も悪魔は計算に入れています。

 

恐れは悪魔からのもの

恐れは、神の言葉に背かせる為の悪魔からの影響のようなものです。恐れに打ち勝つ為には、恐れが「やるな」と言う事をあえて実行する必要があります。

 

個人における安全の確保

自分が「キリストにしっかりと守られている」と知る事が最大の安全です。人があなたをどう評価しようと、神の御心(病人の為に祈る、福音を伝えるなど)を行っている限り、神との関係は安全です。

 

罪を断つ

最大の安全確保は罪をやめる事です。罪を犯すと悪魔に思考を攻撃する隙を与え、「お前は神に用いられない」といった非難の声を聞く事になってしまいます。

 

教会における戦い

 

互いの祈りと奉仕

「植え付け、刈り取る」という霊的な法則があり、他人の為に祈る人は、自分も他人から祈られるようになります。

 

地域教会の規模と霊的警戒

教会が大きすぎてお互いの顔や霊的状態が分からないと、敵側の人間(潜入者など)が紛れ込んでいても気づけなくなります。お互いをよく知り、霊的に鋭敏である必要があります。

 

敵の組織的な攻撃

悪魔の側は、クリスチャンの教会を失敗させる為に断食や呪いの祈りを組織的に行っています。私たちは敵が実際に存在し、戦いの中にある事を自覚しなければなりません。

 

目標の原則

あらゆる作戦や日々の信仰生活において、明確で達成可能な目標(目的)を設定する事が重要です。

 

一つの決定的目標に注力する

教会や個人が霊的な領域で成果を出すには、明確な目標に全力を注ぐ必要があります。単に「神の御心を行う」ではなく、「特定の場所で伝道する」、「神の癒しを信じて健康に歩む」など、焦点を絞る事が大切です。

 

戦いの最中に方針をブレさせない

病人の為に祈っている最中など、個別の戦いの真ん中で戦術を簡単に変えてはいけません。それは敵や周囲の人に「自分が何をしているか分かっていない」と示すようなものであり、味方の士気を下げ、敵の士気を上げてしまいます。

 

達成可能な目標が持つべき5つの性質

 

明確である:関わる全員が理解できる事。

 

達成可能である:聖書に約束されている現実的なものである事。

 

決定的である:兵士(信徒)の情熱を呼び起こす価値あるものである事。

 

具体的である:達成できたかどうかが第三者にも測定・判断できる事。

 

期限がある:開始日と終了日、タイムラインが設定されている事。

 

カリーは、聖書において神は戦士であり、信徒もまたキリストの兵士として訓練されるべきだと言います。その為、クリスチャンは生活の優先順位を整え、キリストの姿に変えられていく為の兵士として決意するべきだと言います。

セッション5

 「集中の原則(Principle of Mass)」の定義

 

目的を達成する為に「十分な力」を投入する。

 

信仰の戦いは本物の戦争であり、神は私たちが勝利する事を望んでいます。神の味方であるならば、私たちは敗北するのではなく、既に敗北している敵に対してその敗北を執行する役割があります。

 

敵が仕掛けてくる「集中の原則」

敵は個人や教会に対して、この原則を悪用して攻撃してきます。

 

個人への攻撃:敵は様々なエリアから一斉に猛攻撃を仕掛け、ターゲットを圧倒しようとします。

 

サイン:「諦めたい」という強い感情、絶望感、無力感、うつ、心配、パニック障害などが生じます。

 

対策:防御に回っては絶対に勝てません。常に「攻撃、攻撃、攻撃」という攻勢に出る必要があります。こちらが攻め続けて敵を後退させれば、仮に攻撃を受けてもダメージは受けません 。

 

教会(全体)への攻撃:敵は教会に多くの小さな問題(火事)を同時に発生させ、対処しきれないようにします。

 

集会やカンファレンスの直前に多くの人が体調を崩したり、乗り物や機材が故障したりするのは典型的な攻撃です。

 

クリスチャンが使うべき「集中の原則」

クリスチャンは数(人数)で敵を圧倒できなくても、「言葉(神の言葉・命令)」によって敵を圧倒する事ができます。

 

霊的なマシンガン: 神の言葉を矢のように次々と口から放つ事で、敵を常に防御一辺倒に追い込む事ができます。敵は放たれた言葉の全てをブロックしなければならない為、疲弊します。

 

共同体(チーム)での祈りの戦い

教会やチームで「祈りのキャンペーン」や「24時間祈祷」を行う事は、強力な集中の原則の適用です。

 

空爆としての祈り:実際に現場に足を踏み入れる前に、祈りによって「激しい空爆」を行い、敵を弱体化させておく(抑圧射撃)事が重要です。

 

実生活での実践: 学んだ事を単に知識として蓄えるだけでなく、すぐに実践(行動)に移す事で、言葉に霊的な「権威の重み」が生まれます。

 

勝利に必要なもの:「情熱」

馬の例えを用いて、若くて強い馬たちに勝ち続けた老いた馬の話がされます。勝てた理由は「諦めない心」があったからです。

 

霊的戦いにおいて、肉体が「ストップ」と言っても、それを超えて進み続ける「強い心」を育てる事が不可欠です。

セッション6

奇襲の原則


奇襲とは、「敵が準備していない時間、場所、方法で攻撃する」事です。

 

不意を突く重要性:敵にこちらの計画が知られていると、敵が有利になります。スピードと欺瞞(相手を惑わす事)は勝利に不可欠です。イエスも十字架の死によってサタンを「待ち伏せ」し、奇襲の原則を使われました。

 

敵による奇襲の防ぎ方

 

敵は私たちを動揺させ、バランスを崩させる為に、直前での予定の衝突、妨害、気まずい状況(証しの最中に、相手から予想外の告白をされるなど)を仕掛けてきます。

 

教会での礼拝中にも、音響のトラブル、有名人の遅刻、重病人の来客、悪霊の現れ、さらには「ハエ1匹の侵入」など、あらゆる手段で「神の言葉」から人々の視線を逸らそうとします。

 

対策

 

「今すぐ行動する(即座性)」: 「適切な瞬間」を霊的に待つのではなく、機会があれば(あるいは機会を自ら作って)すぐに御言葉を語り、祈ることです [07:19]

 

「動じない訓練(Unshakable)」: 役割演技(ロールプレイング)などで突発的な事態に備える訓練をし、問題ではなく「解決(神)」に常に焦点を合わせ続ける必要があります。

 

クリスチャン側の奇襲の使い方:予定を立てずに、必要のある人を見かけたらその場でランダムに(あるいは毎回)祈る。または、日常会話から始めて相手が乗ってきたらすぐに霊的な話題に切り替える(イエスが井戸端の女性にされた方法)事で、敵に防御の隙を与えず捕らわれ人を解放できます。

 

攻撃の原則

 

攻撃とは、「主導権を握り、それを維持し、活用すること」です。

 

防御ではなく攻撃:霊的戦いは、敵の攻撃をただかわす(防御する)のではなく、敵を打ち倒す(攻撃する)ものです。敵が攻撃をやめたからといってこちらも止めるのではなく、敵が二度と攻撃できなくなるまで叩くのが攻撃精神です。

 

信仰とは「勇気」である:聖書における信仰とは、御言葉に立って歩み続け、行動し続ける勇気そのものです。

 

教会の誤った姿勢への指摘: 現代の多くの教会は、地獄の門から攻め込まれていると思い込み、自分たちの殻にこもって防御に必死になっています。しかし聖書は「黄泉の門(地獄の門)も教会には打ち勝てない」と教えており、本来は教会側が地獄の門を蹴破って攻め入るべき(攻撃側であるべき)なのです。

 

具体的な霊的攻撃のステップ:

 

敵の働き(病気、縛りなど)に対して攻撃的な態度・心構えを養う事。

 

敵(病気や問題)を発見したら、深刻かどうかを見極めようと待つのではなく、即座に攻撃(イエスの名によって祈る・命じる)する事。

 

これらを毎日実践し、実演し、教える事で、敵の働きを継続的に攻撃破壊し続けます。

 

結論:カリーは、敵の仕掛ける小さな妨害や奇襲に動じない強さを身につけ、常にこちらから主導権を握って敵の領域(病や悪霊の縛り)に攻撃を仕掛け続けるクリスチャン(兵士)になるよう促しています。


セッション7

戦略と戦術の理解:軍隊の兵士が目の前の「戦術」に集中するように、クリスチャンも日々の戦いに目を奪われがちです。しかし、全体像(戦略)を把握し、感情を切り離して論理的・霊的に状況を見る事で、より効果的に戦う事ができます。

 

JGLMの成果の背景:ジョン・G・レイク・ミニストリーズ(JGLM)が成果を上げ、人々を動かす事ができているのは、これらの霊的戦いの原則を根底で理解し、応用しているからです。

 

戦力の経済の原則

 

定義:二次的な目標に力を浪費する事なく、主要な目的に対して適切な量の戦力を集中させる事です。これには優先順位の確立が不可欠です。

 

即座の対応

 

「命を無駄にするよりも、弾薬を無駄にする方が良い。」(パットン将軍の言葉)

 

問題の兆候や違和感があれば、それが何でもない事(祈りの浪費)だとしても、すぐに祈って攻撃を開始すべきです。放置すれば命の損失に繋がります。

 

より大きな視点を持つ: 個別のバーを閉鎖させるような小さなレベルに留まらず、同様の店が再開できないような条例や地域(ゾーニング)の法制化に影響を与えるなど、より大きなスケールで霊的戦いを捉える必要があります。

 

資源(リソース)の管理と節約

 

効果的なリーダーや兵士は、以下の限られた資源を無駄にせず適切に管理します [13:59]

 

時間:最も貴重で代替不可能な資源です。敵はこれを浪費させようとするため(例:テレビの視聴など)、時間を買い戻す必要があります。

 

エネルギー:身体的なエネルギーは規律によって補充されます。活動すればするほど、体はより多くのエネルギーを生み出します。歩きながら祈る、トラクト(伝道文書)を配るなど、体を動かすことが大切です。

 

祈り:祈りは霊的なレーダーのようなものです。信号を送り出す(祈る)事で、霊的領域での敵の動きを察知できるようになります。

 

異言で祈る:毎日30分異言で祈る事で、身体の免疫システムが30%向上するという研究結果があります。また、霊的・感情的な防衛力を高めます。

 

断食:定期的な規律としてあらかじめ実践し、体に慣れさせておく事で、実際に必要な状況に直面した際、食べ物の事ではなく戦うべき状況そのものに集中できるようになります。

 

告白:御言葉を声に出して宣言する事は、周囲に安全な防衛線を築き、御使いの助けを動かす事に繋がります。

 

コストを計算する

ルカの福音書14章の引用:イエスは弟子になる為の条件として「まず座って費用を計算しなさい」と言われました。

 

ピュロスの勝利(不採算な勝利)を避ける:279 BCの戦闘でピュロス王はローマ軍に勝利したものの、自軍の3分の1以上を失い、最終的な敗北に繋がりました。霊的戦いでも、ある戦面に勝利しながら、より重要な別の戦面で敗北してしまうような代償を払ってはなりません。

 

一つの事に集中する:多くのクリスチャンは関心が分散している為、成果が出ません。本当に成果を出したいのであれば、他の全てを置いてでも、癒やしやリバイバルなど特定の領域に全力を注ぎ、それを自分自身の中に体現させる必要があります。

セッション8

 このセッションでは、軍事戦略における「兵力経済の原則」と「機動の原則」を、霊的な戦い(個人および教会全体)にどのように当てはめるべきかが解説されています。

 

兵力経済の原則

この原則は「限られたエネルギーや資源を無駄にせず、最も効果的な場所に集中させる」というものです。

 

敵による個人への適用

 

敵は過去に効果があった「実証済みの方法(罪、病気、怠惰など)」を繰り返し使ってきます。

 

一度誘惑に負けると、次からはさらに少ないエネルギーであなたを降伏させられるようになる為、敵は味を占めて同じ攻撃を仕掛けます。

 

対策:罪や病気に対して強い抵抗力を築き、「手強い標的」になれば、敵はエネルギーの無駄遣いを嫌い、より簡単な別の標的へと去って行きます。

 

敵による教会(集団)への適用

 

敵はクリスチャン同士を互いに攻撃させる事で、自身のエネルギーを節約します。

 

また、最初に間違った非聖書的な教理(伝統など)を教会に植え付け、システム内に「脆弱性」を作り出します。教会が強くなりそうになったタイミングでその罠を発動させ、内部から崩壊させます。

 

クリスチャン個人での適用

 

まずは断食、祈り、告白、証しなどの訓練を通じて「戦闘に適した心身のコンディション」を作ります。

 

一度そのレベルに達すれば、維持する方がエネルギーを消費しません。以前は全力で叫ばなければ届かなかった祈りも、静かに語るだけで同じ威力を生むようになります。

 

教会全体での適用と問題点

 

多くのクリスチャンは、エネルギーの節約方法を間違えています(祈り会やアウトリーチ[会外活動]に参加しないことでエネルギーを温存しようとしている)。

 

日曜日に行われる教会のサービス(礼拝)は「試合前の訓練や決起集会」に過ぎず、本当の試合(戦い)は外の世界(アウトリーチ)にあります。中で聞くだけの人は「行う人」ではなく「聞くだけの人」です。

 

適材適所:情熱を持っている人をリーダーに据えることで、最小限の労力で最大の効果(乗数効果)を生み出すことができます。

 

機動の原則

この原則は「戦闘力を柔軟に適用し、敵を不利な立場に置く」というものです。ジョージ・パットン将軍の「状況に合わせて計画を立てるべきであり、計画に状況を合わせようとしてはならない」という言葉が引用されています。

 

メッセージは不変、方法は可変

 

聖書のメッセージ(福音)自体は絶対に変えてはなりませんが、それを伝える「方法(メソッド)」は時代や状況に合わせて柔軟に変えなければなりません。

 

現代の若い世代に届くアプローチ(インターネット、技術の活用など)を模索する必要があります。かつての世代を勝ち取った戦術に固執してはなりません。

 

敵による適用

 

敵は一つの戦術が通用しなければ、通用するものが見つかるまで次々と方法を変えてきます。

 

イエスが荒野で3度誘惑された際も、サタンは方法を変え、最終的に「さらに都合の良い機会(より適切な時期)」までイエスから離れました(ルカ4章参照)。

 

クリスチャン側の障害:律法主義とプライド

 

律法主義:柔軟性が一切なく、人々の解放よりも「自分たちのやり方が正しいか」に固執します(パリサイ人の性質)。

 

プライド:周囲への見栄から、間違った方針や維持が困難な巨大な会堂などの計画を変更できず、結果として人々に経済的な負担を強いることになります。

セッション9

単純性・迅速性・大胆さ

戦いに勝利する為の黄金律は「迅速性」「単純性」「大胆さ」の3つです。

 

福音や霊的戦いを単純に捉える事で、無駄な迷いがなくなり、迅速に行動(攻撃)に移す事が可能になります。

 

宗教的な複雑さからの脱却

現代の教会は、規則、神学、委員会といった「官僚的な手続き」によって物事を複雑にし過ぎており、それが勝利のスピードを奪っています。

 

誰かが病気の時、「これは神の御心か」「本人の罪のせいか」などと議論している間に手遅れになります。福音は本来シンプルであり、「神は善、悪魔は悪」という明確な構図です。悪(病気や縛り)を見つけたら、即座に大胆に打ち破るべきです。

 

「組織」ではなく「有機体」

教会は過剰に組織化されると、硬直化して麻痺してしまいます。逆に組織化が足りないとシステムが機能しません。

 

目指すべきは、一人ひとりが神の臨在の住まいとなり、シンプルに「神の国」と「暗闇の国」の戦いとして現実を捉える事です。病人は「悪魔に攻撃されている戦争捕虜」であり、私たちの任務は彼らを解放する事です。

 

軍事的なアプローチと実践

優れたマネージャー(神)は、すべての細かいディテールを最初から与えるのではなく、目的と枠組みを提示し、実践(信仰による歩み)を通じて次のステップを示します。

 

複雑な計画を立てるほど、敵に妨害される隙(窓)を与える事になります。最もシンプルで直線的な1つの動き(アプローチ)が、最も成功率を高め、コストも抑えられます。

セッション10

 徹底追撃の原則

定義:突破口(ブレイクスルー)や優位性を得た際に、それを精力的にフォローアップし、最後まで徹底する事。

 

霊的戦いにおける意味:敵に打撃を与えたら、そこで引き下がるのではなく、敵が完全に滅ぼされるまで攻撃を続ける事を意味します。「滅ぼす」の本来の意味は「粉々に砕く」事であり、二度と戻ってこられない状態にする事です。

 

新約の精神:イエスは「悪魔の業を滅ぼす為に来られた」のであり、人の命を滅ぼす為ではなく、救う為に来られました。従って、私たちは人の命を救う為に、その人を縛っている悪魔の業を徹底的に打ち砕かなければなりません。

 

歴史の教訓:ナポレオンが「勝利は最も忍耐強い人のものである」と言ったように、聖書的にも「最後まで耐え忍ぶ者」が勝利します。歴史上、多くの指揮官が一度勝利を収めながらも、徹底的な追撃(フォローアップ)を怠った為に、その後に敗北を喫してきました。現代の戦いは血肉に対するものではありませんが、敵の業を完全に終わらせる必要があります。

 

敵によるこの原則の悪用

個人に対する攻撃:敵はまず「探り」を入れてあなたの弱点を見つけ、あらゆる機会にその弱点を突いてきます。罪の領域において、敵はあなたの好む罪を見つけ出し、誘惑を仕掛けます。一度その誘惑に乗ってしまうと、さらに深く引きずり込もうと追撃してきます。ここでクリスチャンは「防衛の原則」を用いて弱点を補強しなければなりません。

 

恐れを用いた攻撃:人は未知のものを恐れます。敵は小さな出来事を通じて恐れをあおり、最終的に「恐れている事が起こる」という思いを植え付けようとします。恐れとは、神に不従順になる為の敵からの影響です。

 

教会(全体)に対する攻撃(ドミノ倒し):教会内に間違った教理や、リーダーの過ち(たとえ本人が悔い改めた後であっても)の噂を広める事で、教会全体を崩壊させようとします。敵が狙うのは、あなたの神の国における「有効性」と「影響力」です。あなたが罪に落ちれば有効性が止まり、噂が広まれば影響力が止まります。

 

3. クリスチャンによるこの原則の正しい用い方

個人へのミニストリー(癒やしや解放):誰かの為に祈る際、完全に勝利がもたらされるまで手を引いてはなりません。一見勝利したように見えてクリスチャンが安心した瞬間、敵がカウンターアタック(逆襲)を仕掛けてくる事があるからです。

 

エネルギーの配分と限界:現実世界では、多くの人から求められる為、一人だけに何週間も付きっきりになる余裕はありません。そこで力の配分が必要になります。助けを求めない人に時間を浪費するのではなく、本当に助けを求めている人に投資すべきです。

 

霊的な「切断」の重要性:カリー氏自身の過去の経験として、末期患者などの重いケースの為に24時間体制で祈り続け、相手と深く繋がり過ぎた結果、精神的な崩壊(神経衰弱)寸前まで追い込まれた事がありました。

 

同情と慈愛の違い:同情は相手と同じ水の中に入っていき、一緒に溺れてしまいがちです。慈愛は勝利の岸辺に立ち、強さの立場から相手を引き上げます。

 

手放す:祈り、ミニストリーを尽くした後は、その重荷をイエスに委ね、霊的なつながりを「切断」する事を学ばなければなりません。私たちはメシア(救い主)ではないからです。

 

地域における霊的権威

地域を支配しようとする悪霊の反抗を許してはなりません。イエスの名によって権威を行使し、その霊を屈服させ、その地域の霊的権威は自分たち(教会)である事を認めさせる必要があります。

 

これを行う為には、自分が「新しい創造」としてどのような権威を授けられているかを完全に理解している必要があります。「新しい創造」としてのアイデンティティーを理解する事で、敵の追撃に負けず、逆に敵を圧倒する事ができます。

セッション11

道徳的義務の原則

存在の理由を示すもの:他の原則が「どのように行動すべきか」を示すのに対し、この原則は「なぜ行動しなければならないのか」という根本的な理由(動機)を示します。


信仰の土台:癒しの為の絶対的な権威の基盤となるものであり、これを真に理解すれば、全ての行動基準が変わります。


定義:「神がご自身を捧げているものに対して、自分自身を捧げ、それを成し遂げる事」です。


2. 「望むこと」と「行うこと」の違い

教会の問題点:多くのクリスチャンは「最善を望む事」だけで満足し、それを「実行する事」へと移していません。美徳は望む事だけにあるのではなく、それを実際に行う事にあります。


聖徒(クリスチャン)と罪人の違い


罪人:究極的に「自分自身の利益」の為に生きています。たとえ巨額の寄付をする慈善活動家であっても、動機の根底には自己満足や自分の利益があります。


クリスチャン:自分の利益を顧みない「無私の愛(利他主義)」によって、究極的に「宇宙全体の最善」の為に生きています。


3. 御言葉を聞いて行う(岩の上の家)

マタイによる福音書7章の「岩の上に家を建てた人」の例えを引き合いに出し、家が揺るがないのは単にイエスを救い主として受け入れたからではなく、「イエスの言葉を聞いて、それを実際に行う」からであると強調しています。


口先だけで「主よ、主よ」と言い、奇跡や追い出しを行っていても、罪(不法)の中に生きている者は「あなたをまったく知らない」と拒絶されると警告しています。


4. 新しい契約のマインドセットへの変革

僕(しもべ)ではなく息子として歩む:古い契約の奴隷的な心構え(律法主義)から抜け出し、新しい契約の「息子(子ども)」としての心構えを持つ必要があります。


大胆さと権威:クリスチャンは「神に対しては息子、人に対しては僕、悪魔に対しては主人」です。イエスのように大胆かつ権威を持って語り、行動すべきです。