目的の原則:敵の戦略
敵は目的の原則をクリスチャンよりも巧みに利用しています。敵はチェスの名手のようなスキルを持っており、私たちが目にする目先の動き(攻撃)が、本当の目的である事は滅多にありません。
世代を狙う計画:クリスチャンが来週の計画を立てる一方で、敵は次の世代を止める為の計画を何年もかけて練っています。あなたが学んだ事や行う事を妨げ、次の世代に継承させないようにする事が目的です。
陽動作戦(フェイント): 第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦で連合軍がパットン将軍を偽の場所に配置してナチスを欺いたように、敵も私たちの注意を本質とは違う場所(病気、財政、人間関係のトラブルなど)に引きつけようとします。
リソースの分散:敵が仕掛ける一見大した事のない問題に気を取られていると、時間、エネルギー、財政といったリソースが分散して弱体化し、最終的に本当の狙いである重要な部分で打ち負かされてしまいます。
クリスチャン個人の「目的の原則」の実践
クリスチャンは、自分の全精神、財政、そして特に「祈り」を、明確な一つの目的に向けて集中させる必要があります。
祈りの情熱を失う原因:長時間祈れないクリスチャンは、祈る内容が尽きてしまうからだと不満を言いますが、それは心に触れるものが少なくなっている(初めの愛が冷めている)証拠であり、リバイバル(信仰の覚醒)が必要なサインです。
感情の罠と不和:敵はクリスチャンの感情を利用し、他人の些細な態度(挨拶をされなかったなど)から「あの人は自分を嫌っているのではないか」という「妄想的な憶測」を生み出させます。
未熟さの基準:クリスチャンの霊的な未熟さは、「自分が受けた(と感じる)侮辱や不快な出来事について、どれだけ長い間くよくよと考えているか」で判断できます。私たちは感情の罠を捨てて、神の任務に集中しなければなりません。
どのような状態でも従う:誰かと口論をしてしまい、自分の霊的コンディションが完璧でないと感じる時でも、聖書の御言葉(病人に手を置けば癒されるなど)に従う事を選択すべきです。感情が「正しい」と感じるのを待つのではなく、まず御言葉に従う事で、霊的な状態も後から良くなっていきます。
集団戦(教会・チーム)における目的の原則
お互いの為に戦える強さ:チームのメンバー(信仰の仲間)は全員が敵の攻撃対象になります。その為、各メンバーが「自分自身だけでなく、倒れた仲間の為にも代わりに戦えるほど強くなる」という心構えを持つ必要があります。全員が他人に依存し合う「生ぬるい」状態を敵は狙っています。
手段としての団結:多くの教会は、教会のトラブルをなくして平和に過ごす為に団結を説きますが、真の団結は「敵を打ち負かし、神から与えられた任務を完遂する為」にあるべきです。
祈りを行動の言い訳にしない:執り成しの祈りは非常に重要ですが、それが「外に出て実際に福音を伝える働き」を避ける為の言い訳になってはなりません。祈りの会にいる人数よりも、実際に街に出て活動する人数の方が少なくてはならないのです。
安全保障の原則:敵の不意打ちを防ぐ
安全保障の原則において、敵はクリスチャンの「祈りの不足」や「油断」に付け込み、予期せぬエリアから攻撃を仕掛けてきます。
敵の安心感(セキュリティー): 敵が安心して活動できる理由は、悲しい事に、大半のクリスチャンが福音を使って実際には何もしない事を知っているからです。
信仰の盾を常に掲げる:聖書には、悪魔はイエスのもとを「より都合の良い機会(隙)が訪れるまで」一時的に離れたとあります。敵は私たちが警戒を緩めるタイミングをじっと待っています。その為、クリスチャンは24時間365日、常に信仰の盾を掲げて警戒を怠らない「防衛兵・解放軍」として生きる必要があります。
このセッションの最後には、ウィリアム・ブース(救世軍の創設者)の「血を流し、死ぬ事はあっても、退却する事はない」という言葉が引用され、現在の教会に必要なのは「霊的に見せかけようとする」事ではなく、聖書に愚直に従う兵士としての精神であると締めくくられています。
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