神の愛と私たちの意識について
神が私たちを愛しているということは、単なる道徳的な善意や義務ではなく、人間が誰かに「恋い慕っている」状態に等しいものです。それは一瞬たりとも私たちのことが頭から離れず、常に良いことを想ってくれている状態を意味します。しかし、多くの教会や宗教は「神は常に自分に敵対し、押し返してくる存在だ」という誤った見方を植え付けてきたため、人々は不必要なストレスを抱えることになっています。
思考の一新の定義とアプローチ
思考の一新とは、キリストの考え方や神の本来の意図に、人間の精神機能を継続的に調和・同期させるプロセスです。カリーはこれを軍隊の過酷な訓練に例えています。人間の脳は否定的な情報や宗教的刷り込みに傾きやすいため、正しい言葉や真理を何度も繰り返し上書きし、徹底的に没頭する必要があると説いています。
「内側から外側へ」の変革
世の中の多くの人は「外側の行動や型」に自分を合わせようとしますが、真の変革は内側(霊や新しい人としての本質)から外側へ向けて起こるものです。教会が教えてきた「頭の知識をハートの知識に変えなければならない」というのは順序が逆であり、実際には「霊にある真理を魂(思考)に持ち込み、一致させる」ことが本質です。
「祈り」と「信じること(受動から受容への転換)」
多くのクリスチャンは問題が起きるたびに神に「どうか〜をして下さい」と必死に祈り続けますが、カリーは「神はすでにすべての備えを完了し、すでに与えている」と主張します。従って、足りないのは神の供給ではなく、人間の側にある「二心」や「間違った情報による不信仰」です。本当に必要なのは、何度も祈り求めることではなく、「すでに与えられていると信じて受け取ること」だとしています。
真理と科学、そして宗派の限界
カリーは、ジョン・レイクの預言や教えに触れながら、真の「霊の科学」がいつの日か大学や世間に受け入れられる時が来ると語っています。また、歴史的なリバイバル指導者や聖書の人物(ノア、アブラハム、モーセ、ダビデなど)も大きな失敗を犯しながら神に使われたことを挙げ、宗教的な「型」や「恐れ」のせいで一線を越えられない信者たちに対し、神の本当の恵みと意図を理解するよう促しています。
「宗教とは、人間が神に到達しようとする試みです。しかしキリスト教とは、神が人間に到達した成功のことです。」カリー・ブレイク
人間が自分の行いや宗教的なルール(宗教)によって神に近づこうとする姿勢を否定し、神の側からの完全なアプローチと恵みによって成り立っているのが本来のキリスト教であると強調する言葉です。
「不信仰とは、単に信じていないことではありません。不信仰とは、『間違ったことを信じている』ということです。」
人々が癒しや奇跡を受け取れないのは「何も信じていないから」ではなく、長年の宗教的教えや世間の情報によって「間違ったこと(恐れや限界)」を信じ込まされているからだと指摘しています。
「神はすでに与えておられます。ですから、もう求めるのをやめて、ただ信じ、受け取って下さい。」
すでに神は必要なものをすべて用意し、承認しているため、何度も「与えてください」と懇願し続ける祈りは的外れであるとし、すでに与えられたものを信仰によって「受け取る」べきだと説いています。
「もし誰かが私に『どうすれば人生を最も速く変え、思考を一新できるのか』と尋ねるなら、答えはシンプルですが、殆どの人はそれを実行できないでしょう。そして、それを口にした瞬間に私たちは再び『カルトだ』とレッテルを貼られることでしょう。」
軍隊のブートキャンプのような「徹底的な環境への没入」と、否定的な言葉を99回ポジティブな言葉で上書きするような徹底的な訓練が思考の一新には必要であると述べ、生半可な方法論ではない変革の厳しさを語った言葉です。
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