ある方の質問です。「ある人が自分は癒されたと言うなら、その人に薬を取り続ける様に言いますか?」アメリカの法律によると、私達は他人に薬をどの様に扱うかについて言及する事はできません。彼らに薬を止める様に言う事は法律上できないのです。それは許可なしで薬を扱う事になります。薬についてコメントする事さえできません。なので、ベストな事は薬についての言及は避ける事です。教会では「あなたが祈ってもらった後に薬を飲み続けるなら、それは信仰を持っていない事を証明している。信仰を持っている事を証明する為には、薬を止めるべきです」と過去に教えられてきました。もし私達がその病人の信仰により頼むなら、病人が薬を取るかどうかを決めるでしょう。病人の信仰に頼るならです。しかし、私達は癒しの為に他人の信仰には頼らない事を学ぶべきです。他人が何をしようが、私達が癒しを行う事には影響はしません。これで薬の問題は解決します。もし薬が癒しを妨げる事ができると信じるなら、それはその薬は神の力よりも強いと信じている事と同じです。私は、神より強いものは他に何も存在しない事を発見しました。神よりも強いものは何もないと信じる限り、神は私達を通してそれを証明する事ができます。しかし、神よりも強いものがあると信じるなら、神は何よりも強くても、私達を通してそれを証明する事はできません。この真実を私達は理解するべきです。
メガネをかけていた人達が祈ってもらった後に、そのメガネを取って壊すのを見た事があります。しかし、その様な行為はまるで私達が神の腕をひねって、「今、何かしなさい」と強制している様なものです。それは信仰とは言い難いものです。よく私が癒しの為に祈ると質問されます。「メガネを取るべきですか?メガネをかけ続けると癒しを妨げたりしますか?」私はこう答えます。「あなたが癒されたら、メガネは外さなければいけなくなります。視力が良くなるので、メガネをかけていると見る事ができなくなります。その時にメガネを取ればいいです。別に眼科に行って癒してもらってもいいと思います。あなた次第です。」他人に何をして、何をしないように言う事が私の仕事ではありません。私の仕事は助けが必要な人達を、どの様に助ける事ができるかを教える事です。大抵、癒しが起きた時には他人に何か質問する必要はないからです。人はよく非現実的な質問をします。しかし、実際には癒しを行う時に多くの問題を扱う必要はありません。
幾つかの証をシェアさせて下さい。私達はちょうど「神の国を証明する事によって、大宣教命令を成就する」というタイトルの教えを作りました。イエス様は私達に命じました。福音を宣べ伝え、病人を癒し、死人を蘇らせ、悪霊を追い出し、異言を語り、毒を飲んでも害を受けない、などです。ダラスにあるバイブルカレッジでこれら一つ一つのトピックについて詳しく教えました。
私自身の人生の中での証と、私の聞いた証を交えて教えました。私達は今まで、それらの命令の全てを行って成功してきました。9人死人が蘇るのを見たし、何千人と癒しを見てきました。一番新しい統計によると、過去4年間で、私が個人的に手を置いて癒された人々の数は7万位です。これは私個人だけの統計です。しかし、驚くべき事はこの訓練を受けた人々から証が届く事です。彼らは手を置いて癒された証や死人が蘇った証など様々な事を手紙に書いて送ってくれます。私にとって一番嬉しい事は、他の人が癒しを行っている証を聞く事です。
ある時、ペンシルベニア州のハリスバーグに一週間いて、そこで癒しをしていました。それはブレザレンの教会で、彼らは元気のいい礼拝ではなく、おとなしい事で知られていました。私達がそこを去ってから2週間後、礼拝中に突然女性が倒れて死んでしまいました。礼拝中に皆の目の前でです。彼らは緊急の911番に電話しました。彼らがいた所は田舎だったので、救急車が到着するまでに時間がかかりました。彼らは言いました。「彼女は死んでいるので、カリー・ブレイク氏が教えた様に彼女を蘇らせませんか?学んだ事を実践できるから!」それで、彼らは彼女を取り囲んで祈り始めました。彼らによると、15~20分経った後に彼女はひょこっと顔を上げて、あたりを見回しました。その後、救急車が到着して救急士らは彼女を診察したがりました。その時には、彼女は病院に行く事はありませんでしたが、彼らは後で診断をしたがりました。そのまま彼らは礼拝を終えました。それが起こった後は、彼らの神に対する信仰は以前より強くなりました。他にも死人が蘇った証を知っています。私の息子はタイへの宣教師でしたが、彼も死人を蘇らせました。私達は津波の災害が起きた翌年にタイに行きました。ある女性は癌を患っていたので彼女の家に行き祈りました。彼女は回復しましたが、その後に何かの呼吸関連の問題の為に病院に行く事になり、彼女はその病院で死にました。彼らは彼女を死体保管所に連れて行き、カバーをかけました。死体保管所はまるで、ただの開けた部屋でした。タイの病院はアメリカの病院とは違います。医師が死亡証明書を書いている間に、彼女は天へ行きました。彼女は仏教徒でした。医師達が死亡証明書を書いている間、彼女の体はそこにありました。その間に彼女は天へ行き、イエス様に会いました。主は彼女に言いました。「家に帰って、きれいにしなさい。」彼女は蘇り、体を起こしました。医師達はビックリしました。その出来事は、その村と周辺が福音宣教の為に開かれるきっかけとなりました。
イエス様は仏教徒も死人の中から蘇らせます。私は神がエホバの証人を死人の中から蘇らせるのを見た事があります。彼は雪の中、道路脇に横たわっていました。心臓発作で亡くなり車を衝突させました。これはメンフィスの郊外で起きた事です。私達は車から出て彼の所まで行きました。私は手を彼の胸に置き言いました。「イエスの御名によって、あなたは死なずに、生きる。」2分間程たって、それから歩き去りました。
その時に、ゲップの様な音を聞きました。振り返ると、その男は頭を上げ、目を開けて動き出しました。彼の周りには、8~10の人達が彼を囲んで集まっていました。それから、救急車と警察が到着して人々を追い返しました。彼と一緒に救急車に乗って行った一人の女性が後で私に電話をして、彼はエホバの証人だったという事を教えてくれました。死人を蘇らせた証の一番のものは、自分の娘を蘇らせた時です。彼女は7歳の時に、2階の窓から落ちました。コンクリートの中庭に打ち付けられて死にました。その時、私は死人を蘇らせる準備などできていませんでした。一般的に死人を蘇らせる為に必要と言われている断食も祈りもしていませんでした。彼女が地面に落ちた音を聞いても、何が起きたか分かりませんでした。外に出て行き、そこに彼女が横たわっているのを見つけました。彼女を抱き上げた時、彼女の鼻は折れていて、歯は歯茎に刺ささっていて、彼女の頭皮はめくれていました。最初に私の頭によぎった考えは、最初の娘の葬儀でした。一瞬で全ての葬儀が頭によぎりました。それから、頭の中でこういう声を聞きました。「お前はまた娘を失う。」私は一瞬のうちに最初の娘が亡くなるのと、彼女の葬儀の全てを幻で見ました。そして、悪魔は私の頭の中で言いました。「お前はまた娘を失う。また娘を失う。」それで、私は叫びました。「イエスの御名によって、あなたは生きる、死なない!イエスの御名によって、あなたは生きる、死なない!」私は私の頭の中の声をかき消す為に、より大きな声で叫び続けました。その中庭で彼女を抱えながら、20~25分間の間歩きながら、腹の底から叫び続けました。「イエスの御名によって、あなたは生きる、死なない。」終に、私は家の中に行き、壁を背にして彼女を座らせると、彼女の頭は胸につく位に垂れ下がっていました。家族は降りてきて、パニックになっていました。私は彼女の正面に行き、彼女の胸を指差して言い始めました。「イエスの御名によって、あなたは生きる、死なない。」私はその同じ言葉だけを繰り返し言い続けました。それから20分ほど経つと、突然、まるで誰かが彼女の腹を殴った様でした。彼女はぐいっと引っ張られた様で、まるで電気ショックを受けた様でした。彼女は引きつって血を吐きました。彼女の目は開け目の焦点が戻ってくるのを見ました。彼女が生き返ってくるのを見る事ができました。彼女が最初に言った言葉は「お父さん、お腹すいた。」でした。私達は彼女を車に乗せて病院に連れて行きました。アメリカで死人が蘇るのをあまり見ない理由は、誰かが死ぬとすぐにその体を取り去ってしまうからです。海外では死人の体を火葬まで家族や親族と一緒に置きます。私達には死人の体を他の人に預けてしまう習慣があります。
私達は愛する人を他人に渡してしまいます。私は最初の娘を医師に任せましたが、彼女を埋葬する事になりました。それ以来、私は決してそうしないと決めました。しかし、色々な事が家族に起きました。数えればきりがありません。私の2番目の娘は3回も肺炎になりました。それは私の最初の娘を殺したものと同じでした。最初の娘を殺したものが、2番目の娘を襲う時には、彼女も失うかもしれないという恐れがあります。
私達は祈って神を信じました。機会があれば彼女の話もしますが、彼女は癒されたという事だけ言っておきます。私の息子は、以前の家で重い窓に腕を挟みました。その窓は彼の腕の上に落ちて、彼の腕の骨を折りました。私達は彼の腕を固めて祈りました。彼は癒されました。私達は家族や愛する人々が癒される事を見てきました。
コロラド州にいた時の事です。そこには双子の子供を妊娠していた女性がいました。医師はその双子が死んでいると診断しましたが、まだその子達を取り出してはいませんでした。死んでから2週間ほど経っていました。医師は自然と流産するか、腐敗してくると言いました。女性は流産を望んでいたので待っていました。そして、この女性は私達の集会に来て、9ヶ月妊娠していて既に出産しているべきでした。そして、彼女のお腹に彼女の手を置いてもらい、私は彼女の手の上に私の手を置きました。私達はいつもこの様にして女性の為に祈ります。私達は女性の体には手を置きません。彼女の手を取るか、問題のある場所に手を当ててもらいます。そして、彼女の手の上に私達の手を置きます。そうすれば何も問題は生じません。癒しのミニストリーは、ただでさえも多くの人が批判します。私達は賢く、正しい方法で癒しを行う事ができます。なので、私は彼女の手の上に私の手を置いて、命を与えて、エホバの証人や私の娘に言った様に同じ事を言いました。「イエスの御名によって、あなたは生きる、死なない!」私も彼女も何も感じませんでした。ただ信仰のみでした。彼女は戻って行って座りました。それから、集会が終わり彼らは帰って行きました。彼女は家に帰る途中にお腹の中で動きを感じましたが、彼女は流産が起こっているのだと思いました。彼女は病院に行きました。すると、双子が生きている事が分かり、彼女は彼らを出産しました。ダニエル、エレミヤと名づけられました。
私達は9人が死人から蘇るのを見ました。そのうちの一つは、2005年にイタリアでの事でした。「アンジェロの為に来て祈ってもらえますか?」私は答えました。「いいですよ。」それで私達は病院へ行きました。集中治療の病棟に大きな部屋がありました。その部屋には一度に一人しか入る事が許されていませんでした。彼らは私を連れて行き、マスクやガウンや手袋などいろいろなものを着せました。そして、私はその部屋に入りました。アンジェロは叔父に撃たれましたが、何故撃たれたのか、それが事故だったのか、それとも意図的に撃ったのかは分かりませんでした。彼は3月に昏睡状態になり私は6月に彼の所に行きました。なので、それだけの間、彼は脳死の状態でした。彼は生命維持装置をつけていて、喉には管がつけられていました。彼の意識はありませんでした。彼の目は開いたままでした。彼らは彼の両目を閉じておく事ができなかったので、目が乾かない様に、ジェルをぬっていました。私はその部屋に入りました。アンジェロは目を開いたままじっと上を見ていました。彼の脳は死んでいました。彼らは医師によると望みはないと言いました。彼は、感染症を起こして熱を出していました。
私は彼の元に行って彼に触る為に手を伸ばしました。手袋とマスクを外して彼に手を置きました。そして私は彼に言いました。「アンジェロ、私はあなたの目を覚ます為にここに来ました。目覚めなさい!」私は言いました。「イエスの御名によって、あなたが目覚めた時には全てが完全に働きます。脳は完全に機能し、体も完全に機能し、そして完全に癒されます。あなたは全てを覚えていて全ての事はうまくいきます。」私は彼の上に手を置いて命を彼のうちに流して、そしてその場を去りました。私がその部屋から出てきたときには、多くの人々が私の周りに集まって聞きました。「神は何と言いましたか?どう思いますか?彼は良くなりますか?」私は答えました。「はい、彼はよくなります。」彼らは言いました。「じゃあ、神は何と言いましたか?」「病人に手を置けば、癒されます。」そして、彼らは言いました。「だけど、神は何かあなたに言いましたか?」私は言いました。「はい、マルコ16章、あなたは病人に手を置けば、彼らは癒されます。」彼らは言いました。「分かりました。でも、神はあなたに何か言いましたか?」私は言いました。「はい、彼は言いました。私が病人に手を置けば、彼らは癒されます。」彼らは言いました。「では、神はあなたに何も言わなかったんですね?」私は言いました。「今あなた達に言ったでしょう。神は言いました。病人に手を置けば、彼らは癒されます。」そして、彼らは言いました。「では、彼は良くなると思いますか?」私は言いました。「はい、私は彼が良くなると知っています。」そして、私達は車に乗ってそこを去りました。その日の夜、私達を連れて来てくれたセビという人がインターホンで私を呼びました。「カリー兄弟、今から話せますか?」私は言いました。「いいですよ。」彼は言いました。「伝えたい事があるんですが。」彼はためらっているのが分かりました。彼は言いました。「アンジェロは亡くなりました。」私は言いました。「亡くなったんですか?」彼は言いました。「はい、彼は亡くなりました。」私は言いました。「それは驚きです。」それ以外、私は何も言いませんでした。彼は私が何かを言うのを待っていましたが、こういう気まずい瞬間には私は何も言わない方が良い事を知っていました。私は黙っていました。彼は私を見て、私も彼を見ました。それから、彼は言いました。「では、私は帰ります。又、明日会いましょう。」彼は下に行きました。私はエレベーターで上に行きました。エレベーターはしっかり閉まっているので、外から聞く事はできません。そこで私は話し始めました。普段はこの様には話しません。その時は、私は神にぶっきらぼうに話しました。「私は時間を無駄にして福音を宣べ伝える為にここまで来ませんでした。この福音は、行って彼らに手を置いて彼らは死にます、なんて言っていません。アンジェロは生きるか、私は家に帰るかです。彼は生きるか、そうでないなら私は福音を宣べ伝えるのを止めます。どちらかです。私は人々に大丈夫だと言っておいて、彼らが死ぬ為に出て行って宣教するのではありません。」私は言いました。「こんな結果は受け入れる事はできません。彼を生き返らせるか蘇生させるか、どんな形でも構いません。彼は生きます。彼は生きるか、そうでないと私は明日飛行機に乗って帰ります。」私は大きな声で話していました。それから、1階に着いて扉が開きました。
私の話は終わり、散歩に出て行きました。美しい地中海を眺めました。私は歩きながら祈っていました。すると「アパートに帰りなさい」という声を聞きました。翌朝、私達は神癒技術者訓練を教えに戻りました。セビとアンジェロの叔父がやって来て言いました。「カリー兄弟!聞きましたか?」私は言いました。「何についてですか?」彼は言いました。「アンジェロ!アンジェロの事です。」私は言いました。「彼は亡くなったと聞きました。」彼は言いました。「違います。彼は生きています。アンジェロは生きています。」私は言いました。「本当ですか?いつですか?」彼は言いました。「彼は目を覚ましました。今朝、彼は目を覚ましたのです!彼は全ての事を覚えています。彼は今は完全に元気です。感染症は死んで、彼は生きています。」アンジェロの叔父はとても興奮していました。
彼がアンジェロを撃った本人です。だから、興奮するのもよく分かります。彼は殺人の罪を着せられていたかもしれません。セビは言いました。「私はあなたに一つ質問があります。」私は言いました。「何ですか?」彼は言いました。「昨日の夜、私がアンジェロが死んだと伝えた時に、何故「それは驚きです」と言ったんですか?」私は答えました。「それは、私は負ける事に慣れていないからです。私は勝つ事に慣れているからです。」言うまでもありませんが、その後の癒しの集会は全く違ったものになりました。その知らせはその地域に広まりました。全ての人達がアンジェロについて知っていました。私達は地中海を見渡せる山の上にいました。そこには冷房がなかったので、彼らはできる限り風が入ってくる様に窓や扉を開けていました。その教会は木の床などがあり美しいものでした。その教会は白い石や大理石からもできていて、ギリシャ様式の美しいものでした。アンジェロの知らせはその地域全体に広がって、その夜の集会は満員になりました。教会の周りには庭がありました。人々が集まりすぎたので、人々はその中庭の隅の暗がりまで立たなければなりませんでした。私は一番遠くの人まで見る事はできないくらいでした。彼らは押し合いへし合い、集会を見ようとしていました。
私達が癒しの為に祈ると、もっと多くの人達がやって来ました。私達は車椅子に乗った2人の人達の為に祈り、二人とも車椅子から立ちました。多くの人達が癒されました。祈っていたのは私だけではありませんでした。私が教えた人達も一緒に祈っていました。それが一番な重要な事です。彼らは私と同じ癒しの結果を出していました。瞬時の癒しなど、色々な事が起こっていました。「私は特別な人です!油注ぎを受けた者です。病人を私のもとに送って下さい。彼らを癒します」とは言いません。私はむしろ彼らに言います。「キリストが油を注がれた者です。私達は神のわざを行っています。私達は神の言葉を語ります。福音こそが人々を救う神の力です。」福音こそが人々を救う事ができる神の力です。あなたが福音を宣べ伝えて、あなたが福音を宣言して下さい。私は病が既に癒されている事を宣言する為にいます。私の任務は悪霊を人々から追い払う事です。何故なら、彼らは既に癒されているからです。私は捕らわれている人達に宣言します。
「捕らわれている人達、あなたは癒されています。」癒しとは、私がこれからあなた達を癒そうとする事についてではありません。私達は既に癒されています。2000年以上も前に十字架の約束により全ての病は癒されました。しかし、病気は私達と私達が癒された状態を目で見る時点の間にあります。従って、私達の仕事は権威を行使し、その間にある病気が去る様に命令する事です。その間にあるものがなくなった時、何が起きますか?私達は癒されます。この様に癒しは単純な事です。どこに行っても私達がする事は捕らわれ人に自由を宣言する事です。次の様に言う事です。「捕らわれ人よ。イエス様はあなたの為に2000年以上前に死にました。あなた方は解放されています、という良い知らせを私は持ってきました。」なので、癒された様に行動して下さい。私の手は特別なものではありません。私は特別な賜物を主張しません。もし私が賜物によってこれらの事をしているなら、あなた達にも同じ賜物がない限り、私と同じ事はできないからです。
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